施しとは?偽善とは?なにが正解?

バンコクからバスでシェムリアップへ。

タイを出国するのにすごく並びました。長蛇の列とはまさにこのこと、という感じ。反対にカンボジア入国は本当にここ?って感じの建物で結構、スムーズに終わった記憶。無事入国を終えた後に同じバスの乗客がカジノに何人も吸い込まれていくのが驚きでした。だって、国境越えるだけだよ?ほかの乗客も入国したら出発しちゃうよ?わたしの知らない何か悪いことがそこで行われているのか?と少しドキドキしました。(ほんとのところはどうだったのかは分かりませんが)


カンボジアに入ってすぐ、物乞いの子どもたちが後ろをついてきて言葉にできない思いになりました。この旅を始めてから最初の子どもの物乞いで、どこかでこういうことを忘れている自分がいました。その場でわたしが物をあげても問題の根本が解決する訳ではない、そしてわたしがその問題を解決しようとこれからも継続した取り組みをする訳でもない、それでもわたしのことお金に見えるのかな?とか、まぁ色々なことを考えてしまうわけですよね。もちろん、わたし自身も仕事を辞めて旅行しているという点では資金が潤沢で人さまに分け与える余裕があるかと言われると全くないんですが。でもいつもなんだか悶々と考えてしまってざらざらとした気持ちになってしまうんですよね。

ただこの子どもたちはとても切り替えが早く、わたしがお金をくれない人だと分かるとすぐ後ろで施しを準備していた欧米人のおじさまに声を掛けていました。

 

このブログのタイトル通り、施しとは?偽善とは?なにが正解かいつも分かりません。が、人それぞれが持っている価値観を大切にすること・他人の価値観を否定する前に考えることが大切なのではないか、ということに帰結します。なんの答えでも解決策でもないけど、簡単に答えがでるものでもないと思うので。

 

うーん、と何とも言えない気持ちになりながら入国しましたが少し奮発してシングルルームに泊まったら気持ちはだんだんと落ち着きました。ドミも人がいなさそうだったけど、時にはひとりでいる時間も大切なので。

すっかり暗くなってしまってあんまり遠いところまでご飯を食べに行くのが怖かったので、宿近くの食堂でご飯を食べて商店で飲み物とアイスを買うことにしました。

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地元の人であふれる最高の食堂

結局、泊まっている間はここでばかりご飯を食べていました。安いし美味しいし何よりこの街に少し自分が溶け込んでいるような感じがして楽しかったです。

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優しい味にほっこり